わが町、稚内は国境の街でもあります。日本最北端の地の碑、宗谷岬からわずか43キロ先にはサハリンの島影を望み、6月から9月は稚内とコルサコフを結ぶサハリン航路も運航されております。また、稚内市役所にはサハリン課があり、ユジノサハリンスク市には稚内市サハリン事務所が於かれています。このようなことから近年では様々な経済交流、文化交流が行われ、街中にはロシア語の道路標識が数多くあり、ロシア人の姿もよく見かけることが出来ます。また、ここ数年は観光地としての人気も高まり、「日本から一番近いヨーロッパ」をキャッチコピーに、民間旅行会社では定期フェリーを利用したツアーも組まれております。一昔前は気軽に行ける国ではなかったロシア・サハリン州も稚内からなら、すぐに行けちゃいます。また古くは、サハリン(=南樺太)は1905年から1945年まで日本が統治していた時代もあり、現地には今も多くの建物や縁の地が残されています。
今回はそんなサハリンの今、現在はどんな様子なのか・・・といった事に焦点を当てて行きたいと思います。
第一回目はコルサコフ市との稚内市との関わりや、現在の街の様子などを稚内市建設産業部サハリン課 中川主査に聞いています。
稚内市建設産業部サハリン課 中川主査
コルサコフの歩行者天国