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宗谷護国寺の釣鐘の謎と会津藩の悲劇(4)

今月は、宗谷護国寺の釣鐘の謎と会津藩の悲劇と題してお送りしています。
第4回目は、庵原弥六には、後嗣(後継ぎ)がいませんでしたが、寛政10年(1798年)の蝦夷地巡見で三橋籐右衛門がお家再興を幕府に訴え、「庵原久作時敏」が後嗣となりました。今回も宗史会代表 吉原裕さんに伺っています。

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吉原 裕さん
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