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宗谷護国寺の釣鐘の謎と会津藩の悲劇(1)

9月のテーマは「宗谷護国寺の釣鐘の謎と会津藩の悲劇」についてです。
ここ宗谷は、たび重なるロシアの南下に備え最前線で北方警備をする藩士がいました。道内には現在13の文化年間の北方警備で亡くなった会津藩士の墓石が残されています。宗谷に三基、利尻島に八基、焼尻島に二基、墓は現存しませんが増毛に二基の墓がありました。
第一週は、会津藩と北方警備、浮腫病死、宗谷護国寺に眠る会津藩士の墓、原田嘉重郎、平田八十八、要「某」などについてです。今月は元宗谷支庁 副支庁長で、宗史会代表の吉原裕さんにお話を伺っています。

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吉原 裕さん
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原田嘉重郎の墓
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平田八十八の墓
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要の墓

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